- 久しぶりに会議が続く日なので朝急ぐ。うんざりだと思ったが、いざその時間が来ると平静になるばかりかセロトニンが出るらしく、精神の安定にいいことに気づく。情けないことである、組織の歯車になる窮屈さが神経の安定にいいとは。
- 歯車になっている時は息苦しさと同時に、恐らくぴちっと収まっている心地よさがあるのではないかと思う。子供の時にオシクラマンジュウがなんだか楽しかったのと似た感覚。自営業になったらこれがなくなるわけだから、ともかく頑張って心を入れ替えなければならないと思う。
- 合間に神事があった。ちゃんとした鍬入れの儀などをライブで見ることができるのは恐らく最初で最後だろう。これ、国の施設でしていいのですか、と冗談を言いたかったが軽口をたたける雰囲気ではなかった。自分だって何事もないことを祈りたいわけだから。
- 詩が神事であることがはっきりわかった。最初に神を呼んで当たり前の空間を異化すること。光や植物、風のようなメタファーの連続。Orpheusソネットの冒頭のdaはどのように働くか、を学生時代、師にずっと議論させられていたことを思い出した。
- 樹が立った時のdaは、宮司さんたち(2人いた)による降神の掛け声のようなものだ。だが小さな詩ではここまでの異化はできない。日常世界を作りかえるためには連作構造にする必要がある。伝統的韻律詩の場合には形式に異化する力がある。自由詩の場合工夫して異化する必要がある。
- 異化ができていないと、気色の悪いポエムになる。勿論世の中には気色の悪いことが心地よい、という人もいるからそれでもいいのだろうが。そもそも自分が異化の道具に使っている、飛び回る、とか血とか肉とかの方が「気色悪い」と感じる健常者のほうが多数派だろうし。
- 小さな発見がもう一つ。spotlight検索をキーボードから呼び出し、チャチャっと文字入力してアプリケーションを切り替える使い方があると知ったこと。何で今まで気づかなかったんだろう。軽い爽やかな使い心地。超快適。「超」という昔の言葉を使いたくなるほど快適で嬉しい。
- それから一気に世界の全てを少女の眠りに変えてしまうんですね。RT@greenpal31: そう、Da stieg ein Baum! と、「そこに一本の樹が伸びた」とは、音韻の呪法としてはまるで別物。RT@garonnne 詩が神事であることがはっきりわかった。最初に神を呼ん
- 野菜と焼酎を買うモールは決まっていて、帰宅時ナタマメを見かけてすぐに買った。焼酎のあてにいいはず。近所の元小学校の校長先生に頂いて知った。焼酎売り場でやんちゃな感じの赤い髪の男子・女子に「鹿児島の焼酎って何が美味しいですか」と話しかけられる。
- 自分はアサヒしか飲まない、辛口だけど、と教えたけれど、県外の人は理解できないだろう。勧めてからポジの返事を貰ったことがないから。島美人とか言えばよかったか。レジに行くと「彼は苦学だ」と噂になっていた彼がバイトをしていて挨拶される。この焼酎は見たことがない、と言うので勧めておいた。
- じきに自分の綽名がアサヒになるだろう。ゲルマンとかゲシュタポより相当ましである。Stasiより若干ましである。ゴボウのみそ汁を作りながら氷で割って口に含むと濃厚な悪甘い薩摩芋の香りが。「よしっ」という感じである。
- 毛筆の素養があるらしく、素早く崩した手描きの字が美しくて感心している係長(女性)が縁が金色のガラスの器で焼酎をロックにしているのを先日の会合で見て、これは格好いいと思ったが、その感じの味だ。
- 夕刻リルケの詩を思い出して明るい希望が出てきた。晩年のリルケは決して甘いことを書いているわけではないのに、なぜしっかりした希望と繋がるのかが不思議でならない。
- 考えれば今日一日いつになく元気だったが、心の底では「自分の望みは果たされない」という事実を確認させる水が常にじりじりと流れていた。ずっと流れていた。だがそれが何だっていうのか。絶望は希望の反意語ではなく希望と同質であることが不思議でならない。
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