- 病院の待合室でトニオ・クレーゲルをつまみ読みする。学校の後ハンスと二人で遠回りする場面が既に哀しいものなのだと昔はわからなかった。この小説のことを熱心に語ってくれた人を思い出したが、その人は間の抜けた自分と違って、ここに書いてある断念を知っていたのだと思う。
- 先週90年代のある死刑囚についてのノンフィクションを読んだが、その中に小学校の同級生だった女性の回想、「ある日学校の後彼がついてきたことがあった。家の向きは逆だったのに。お父さん死んだんだってね、と言ったらうんと言っていた。何故ついてきたのかな」
- この回想とトーニオたちの散策が重なり合ってしまう。自分はと言えば昨夜はだらしなく大量に飲んだので翌日は寂しい。気の置けない人たちとの宴の後の孤独である。夕方温泉街まで散策してみようかと思っている。その本のタイトルは「死刑でいいです」だった。
- 財布に沢山お金が残っているので不安になった。ちゃんとお金を払ってきたのかな。大目に払わなければいけなかったのに。こんなことを忘れてしまうのに若い頃の記憶を日々鮮明に思い出しているというただの変人である自分を心底情けないと思う。
- 詩文集をいじっていたら疲れ切ってしまった。Tumblrはhtmlをいじらなければならないので疲れる。自分のやり方が下手だから、という可能性も高いが。それにしても何故書くのか。少しでも世界を作りかえたいと思っているからか。
- 人生で最も素晴らしい日を体験した後、もう二度と幸せな日が来ないと知っているのに人は何故生きるのか、という質問を宴の席なのに友人にして、どんな心の持ち主かを確かめる意地悪な自分。その日がどれほど素晴らしかったかを誰かに語るため、が自分の解。
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