2011年10月18日火曜日

2011-10-17

  1. 学寮の目覚めの音楽は柴崎コウだった。朝日の中で「さよなら」の連呼だが、ロマンチックな曲想で悪くない選曲である。クローゼットにあまり使ったことのなかった淡い色のネクタイを見つけた。裏返すとDiorと書いてある。80年代はこんなものを買っていたのか。
  2. 淡い色の上着にこれを合わせると、ベルリンの壁崩壊時代の東ドイツの官僚風の外観になる。今日はこの扮装で、周りがどう反応するか観察してみようと思う。Stasiで上席に座っている悪い人風の出で立ち、ということ。ねたまれて失脚したが、数年後何となく復権している人。
  3. こんな格好なのにみんな普通にお早うございますと言ってくるぞ。何だか不思議だ。
  4. iCoudの音楽ファイルの機能が日本で使えないと知ってびっくり。もういい加減にして欲しい。開国しても流通形態が変るだけで日本の音楽がすたれることはないです。一部権益者保護に向けられているエネルギーを農業の保護に向けて欲しい。農業はアマミノクロウサギを守るように保護するべきだが。
  5. 昨日は地域の運動会。都内にいる時はその存在の気配すら知らなかった地域行事。大量のお年寄り、少しだけいる小学生たち。マイクを握りにくる代議士たち。「この玉入れの籠の位置は他より5ミリ低い」と怒っている人。冗談と思ったが本気だった。人さまざま、石さまざま、世界は色とりどりのモザイク。
  6. この地に来てから気になっていたことだが、同じ町名の町が川の両側に分断されている理由を夜の飲み会で教えてもらった。詳しい人がいた。治水と米の生産性向上のため、江戸時代に藩の政策で台地を掘って川筋を変え、集落を分断したためらしい。昭和時代の国道と同じだった。
  7. 南薩と佐多の方などに同じ苗字、地名を見たりするから、水上交通のため川筋の左右に同じ集落ができる、などと考えていたが全くの見当違いだった。大正噴火時に桜島から逃げてきた人たちの集落、戦時中に沖縄から来た人たちの集落、飛行場建設のため強制移住させられた人たちの集落などを教えてもらう。
  8. 口伝えのこうした話を何とか書き残したい、と思うが、定年後か。1959年版GutenTagのテキストでお世話になった東海地方の先生は引退後に郷土史か何かを書いていると聞いた。だが年金生活がない世代になりそうな自分にはその時間はなさそうだ。今やるか、できないか、しかないです。
  9. 今日はどうしてもつぶやきたいことがあったのだが、やっぱり無理だろう。ほとぼりが冷めてからでないと、危険な話題なのだ。昼ご飯を買いに出る時に見た、藤棚のような何かを手入れしている農協帽の男の人。こういう情景は勿論つぶやけるけど。

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