- しかし、小人閑居して不善をなすの見本のような小さな世界だな。見たくもない現実を見ていると恥ずかしくなってくるな。自分のことは放っておいて欲しい。間に合ってます。
- そう、こんな職場なのに議論ができない人が少なくないことが衝撃なのだ。正しい答えに近づくために知恵を出し合う作業なのに、「オレを攻撃したのか、よし、自分を守るためにあらかじめ攻撃してやる」的ヒステリーの男性をよく見かける。
- 午前中散歩を兼ねて遠いスーパーまでパンを買いに行く。例によって国道が斜めに寸断した古い細い道筋をたどると半分うち捨てられたような、だがまだ人は住んでいる集落に入り込んだ。家々は土台から朽ちかけているが、敷地内に銀色のトヨタやスバルが置いてある。
- 数値や言語を使っても、世界の全体を掴むことはできない。そもそも国家は本当に統一されているのだろうか。我々は本当に共通の時間を用いているのだろうか。澄んだ生ゴミの匂いと木の葉を燃やした焦げた匂いが混ざる。南の海岸で見る白い肌の樹がざくざくと剪定されいる。
- 匂いと言えば昨夜連結トレーナを追い越して白い軽トラの後ろについた。石焼芋と書いてあり、夜の潮の臭いに加えて甘い芋の匂いが窓から入り込んできた。街中で飲み屋の看板を見る。白いマンションの1Fが飲み屋。セロファンを貼り付けたステンドグラス状の窓。
- そのドアを開けると暖かい家庭の空気があるイメージが一瞬浮かんだが、これは間違いなく錯覚である。せいぜいがおやじたちの臭いとテレビの音が充満してるだけ。脳に騙されてはいけない。脳が語りかけてくることのほとんどはまやかしなのだ。しかも運転中だし。
- 年賀状印刷受付開始、の看板に衝撃を受けた今日、学園祭の門番の役目の人たちと、未来に繋がらない寂しい雑談を長々とした。何故未来に繋がらないと感じたか、と言えば、話題が文芸でも音楽でも哲学でもなかったからだろう。科学技術は色あせるが、芸術は色あせることをテーマにできるから色あせない。
- 希望の日には希望を歌い、鬱の日は陰鬱な黒を美しく変質させて希望を歌う。景気の変動も関係なく、文学や音楽は未来永劫希望の中にしかない。ありがたいことだ、すばらしいことだ、と気づいた高校時代の杉木立の散歩以来、自分は絶望に苛まれてもそれを冷笑してぼんやりと恩寵の中で生きている。
- 聖堂でパイプオルガンの試し弾きの音が鳴っている。切れ切れの旋律に戦慄するのはこの恩寵の諧調が自分という存在の転写だと思い込んでいるからだ。冷たい木のベンチでぐったりする。セメントが涼しげな大聖堂。
- @xtranoi 誕生日おめでとうございます。今年の挫折以来自分一人姶良カルデラの土になるのも悪くないという気になっています。それでも自分の出自を最後まで忘れられない意識が残るのでしょうね。まあ、仕方ないです。
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