2011年2月5日土曜日

2011-02-04

  1. 試験のために鹿児島に出かける。竜ケ水を過ぎた辺りで昭和火口が噴火していた。東の朝日を背にした火山のシルエットしか見えない。超逆光のため写真に撮るのも難しそうだ。人間を撮影するほうが遥かに面白いが勇気がなくできない。そう考えると文学は盗写自由な方法なのだ。格好悪いことこの上ない。
  2. 名前を知らないいとこが突然家に現れ、父はとりあえず蒲団代と言っていくらかお金を包んだ。その人は沖縄で死んだと後に聞いた。蒲団代の後東京で何をしたのか、何故沖縄に行ってそこで何をしたのかを父は知らないそだ。自分も調べようとする気持ちを持っていない。
  3. 「その気持ちを持っていない」という気持ちに触れた時に、寂しさとともに人は有限であること、何もできないままであることを思い知る。そもそも自分の中に、探そう、何処に行ったのかな、と思う気持ちがないのである。名前を知らないいとこを嫌っているわけでもなく、むしろ好意を持っている。
  4. だが探す気持ちがどこにもない。「人間だろう、頑張って愛の心を掻き立てるんだ」と金八先生なら励ますだろう。けれども人が作り出せるのはこの世に既にあるものだけであり、始めからこの世に無いものを生み出すことはできないはずだ。
  5. また別のたとえ話である。火山が噴出をコントロールしているようには見えない。人間と同じである。人間も自分の感情をコントロールすることはできず、そのまま人を殺してしまうのもよくあることだ。自分の中にはそうした暴力主義の血がはっきり流れていて、それが疎ましく恥ずかしい。
  6. この世に無いものを生み出せないのと同様に、この世に既にあるものはどれほど邪悪でも取り除くことはできない。努力しても。だがこの世を飛び交っている悪意の奥に、美しい魂が必ず薄い膜を作っているのが見えるようにはなった。恐らく人はこの膜の上に蹠をつけて立っているのかな、と思う。
  7. 勿論これも錯覚であるし、すべての愛情は誤解、錯覚以外の何ものでもないが、美しすぎる誤解の膜を取りのけていくと、むき出されるのは虚無ではなく善意の薄い膜のようだ。人は多分この膜の上を歩いているのに気づくことができない。
  8. 膜の様子を言うのに透明とか、薄い、などの隠喩しか使えないが、独語では多分「運命を気にも留めない」というありようかと思う。気がつくと夢を見ていただけで自分はカフェのソファーで水色のケーキを見ていただけだ、という覚醒を、これからも続けていくだろうと思う。
  9. iPhoneを落としたと思って肝を冷やした。運転席のシート下奥にやっと手探りで見つけた。危険この上ない。むき出しが好きだったのだが、滑りすぎるので心配になりシリコンの服を買うことにした。
  10. そもそもiOs4.XX以上にすると「iPhoneここです」ソフトが使えるようになる、と昨日見たMac雑誌にいまだに出ているけれど、Osアップデートしても3GS端末は「ここですソフト」は使えない仕様でしょう?こういうことを明記しない姿勢を見ると、何だか騙されている気になるものだ。

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