- 少し体温の低い人が好きだった。ひんやりとした掌に触れると、自分が許されている気がしたから。だが、その人とはお別れした。仕事がなかった。見つからなかった。焦っていたので、何かタイミングがかみ合わない感じになったのだ。遠慮をして。
- 人生の終わりを意識する頃、何十年も前に触れた掌の感覚が突然蘇った。記憶というものは不思議すぎる。赤坂見附の辺りを夜歩いていて、昼間のように明るい遊歩道のような路地でスペインの酒場という真っ赤な看板の光を見た時に、不意にその掌の感覚が心に浮かんだ。
- いいや、心に浮かんだのではないのかもしれない。掌の上に掌が蘇ってきた。心は頭の中なのではなく、掌の皮膚に宿っているのかと思う。
- 滑らかな皮膚の下をくるくると動く骨が宿っている。強く握ると硬い力を返してくる、緩めると小さな鳥が飛び立つような感覚が移ってくる。感覚や心はきっと、共有されているのかと感じて、胸が熱くなる。意識が弱くなり、自分のオーラが薄くなっているのに違いない。
- 胸が熱くなる、というその感覚こそが、自分が追い求めつづけてきた、自分を世界という闇から救いだしてくれる何かなのか、と思う。戦艦三笠の時代からずっと探していた何か。その何かは記憶の中にしかなく、つまり失われた何かとしてしか掌の中になく、決して実在しない。
- 誰とも手を繋がずに歩くことは本当は怖い。怖くてたまらなくて叫びだしたくなる。だが叫んでも、何も現れないことを知っている。本当のことを言えば、答えははっきりしている。怖がる人を探して、自分が手を引く以外に、暗闇から離脱することはできない。
- 町中にある明るいホテルの、明るいコーヒー店に隠れて、大勢の人たちの中に隠れて、怖い、叫びたい、と思いながら無言で耐えている。これが人の一生の全てなのだ。だが本当だろうか。自分だけが何かを間違えているのではないだろうか。
- もう、正義という錯覚に酔いしれることはやめにしたい。それができればどれほど心が安らぐだろうか。死ぬための思想から離脱したい。草のように土を掴むだけにしていたい。求めてはいけないものをきっと求めすぎていたのだろう。
- 朝、運河に沿ってだらだらとしたスピードで走った。細い散歩道、夜間は節電で消灯、と張紙がしてある。空豆のようなものを煮た臭いがたちこめている。地名が冬木、だった。学生時代に誰か友人の下宿がここにあったはずだ。新東京タワーを見て引き返す。目立たないデザインの塔だ。
- 大きなガラスの窓を巨大な額縁に見立てて、細い明るい黄緑色の樹でデザインされた人工の景色の中でタマネギを入れた濃い味のみそ汁を食べる。耳鳴りがする。何か活字を読まなければならないぞ、と軽く焦っている。外国語の本を探しに行かなければいけないぞ、とドキドキしている。
- 何かを読んだところで事態が好転するわけではない。書き残したところで、書いた言葉が電気のように流れていくだけで書いた人が世界に受け入れられるわけではない。海に流されていきながら、少しバランスをとろうとしているだけだ。さようならと呟きながら、流されていることに変わりはない。
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