2011年6月7日火曜日

2011-06-06

  1. 東京の町、暗い。節電に徹している努力を見ると、感心する。西武新宿駅で友人と待ちあわせてNSビル(ほぼ無人、寂しい…)で安いチリワインを3杯飲む。当たり前の話だが、人生にやり直しは効かず常に一方通行だ。
  2. 丸ノ内線の車内、4歳位の男の子とパパとママ。子供をかまっていたパパが四谷で不意に降りてしまう。男の子が激しく泣く。今思えばママはパパと全く話さない。太ったパパは困った顔で降りてからガラス窓越しに息子の顔を見ようとしているが、ママと男の子は背後のパパの動作に気づかない。
  3. バイバイ、と振り向くことをせず、硬い顔で前を見るばかりなので気づかない。ママは男の子の口を手で軽く塞いで、泣くな、と教えている。日曜日に三人は寛いだカジュアルウェアで日比谷公園のあたりから乗り込んできたのだと思う。親は子供の幸せだけを考えている。正義も悪もない。
  4. だが何故人は生まれてこなければならなかったのか、とは思う。一歩通行、回り道の可能性なし。七色の羽を持つ巨大な天使が、白っぽい明かりの地下道を飛び回っているのが見える。今日もパトカーの赤色灯かと感心した西口広場はロータリーなので、始まりも終わりもない曖昧な自由が続いているようだ。
  5. バブルの匂いのワシントンホテルで寝る。ここが日本語が聞こえない安宿になってしまうとは、80年代の青春時代には想像することもできなかった。
  6. 日曜の夜だから当たり前だが、11時にあらゆる店が閉まってコーヒーすら飲めなくなったのは困った。厳しい街だ。皆明日仕事に出かけるわけだからな。このままもう一軒寄って明日はどうでもいいや、何とかなる的な南国に確かに慣れてしまっているのかも。
  7. 東口から西口に抜ける地下道が完全に子供時代と変わらず、出口にまだハンコ屋と安売りのスーツ屋がある。思い出横町が残っているが、焼けたのではなかったのか。小便横町とどっちが本名なんだろうか。サラリーマン時代に京王線沿いに住んでいたので、何度もここで晩御飯を食べた。
  8. しかし、都内の食事は全てジャンクフード?安いジャンク、高級なジャンク、悪甘いジャンク、美味しく感じるジャンク、等の違いが値段や人気の違いになっていて。食文化を諦めた代わりにこの世界、だから仕方がないわけだが。
  9. ドイツの田舎を思わせる機嫌の悪い女の子がカフェにいて、いい加減なやり方で酸っぱいビールを出した後、一心不乱で卵を叩いてカキタマゴをこしらえている。真面目に、脇目もふらずに、固い表情を崩さずに卵を叩いている。液晶テレビでバルセロナの試合が流れている。
  10. 道路脇に水色のペンキを塗った板が刺さっていた。正確には塗ってあった、だ。光と酸素に焼かれ続けて、ペンキは毛羽立った欠片のように割れてこびりついているだけだった。人生は一方通行で後戻りができない。今も身体の中で死んでいる何かがあるが、停止できない。
  11. 政治主導もうダメなので国民主導、という見出しを見たけど、どういう意味だろう。国民としては何か新しいことを始める人がいると、どうせ無理だから、と言って一致団結してやめさせようとするでしょう。国民主導というのは何もしないで今まで通り放置、ということか。
  12. そんな超保守的な人たちも、昔の自分のように幸せになってほしいなと、つい電車の中で顔を見てしまう。理由はよくわからないが、そういうもんだ。
  13. 揺れるモノレールから陰鬱な気分で運河や遊歩道をそぞろ歩いている人を見ている。必死に願ったり祈ったりしたことの、一体何パーセントくらいが実現しただろうか。時々家族の笑顔を見た。
  14. 飛行機を降り車を受け取った後、鹿児島のスーパーに入って蛍光灯の白いまばゆさに目が痛くなった。こんなに明るくしなくてもいいんだよ。電気もったいない。
  15. 今日の昼間は、現実の道で日盛りの空気を吸っているのか、心の中の道を歩いているのかよくわからなかった。向こうからもう死んでいる人が歩いてきたり、昔の自分がしゃがんでいたりするのに、これが現実なんだとひんやり自覚しているのだ。
  16. 遠い異国の人や喧嘩別れしてもうお喋りできない人がいつも隣を歩いていて、ずっとお喋りしている。死んだ母親がびっこを引きながら、老眼鏡を光らせている。話したいことを全て話し、時間は不自然にゆっくり流れている。捨てた畑にアパートが建っている。
  17. 無数の記憶像が絶え間なく、激しく蘇ってくるので、それを目で追っているだけで疲れてしまい、何かの病気になってしまいそうだ。楽しい記憶も、全て悲しくやってくるので困ってしまう。楽しいまま存在しているものを探さないと。
Powered by t2b

0 件のコメント:

コメントを投稿