- 車の屋根をどんどんと叩くので誰か巨人が来たのかと思ったが、小鳥たちがふざけでどんどんと乗っているのかも知れない。だが車外に出てわかった。鳥は大声をあげながら山桃の実を食べているのだった。食べこぼしの実が屋根にばらばらと落ちてきているのだった。
- この赤い車が初めて家に来た時のことを夢に見た。アウディの工場で見たような、完成品を引き取りに行く夢。実際はホンダの営業の女性が家に届けに来てくれた。夢だから事実とは違う。下の子が生まれた時に授乳するために購入したワゴン車。
- この夢は、成し遂げられなかった願いと結びついているようだった。その消えた願いは視覚映像にならなかったので、言葉に置き換えることができない。夢に見ることはそもそも、求めたが空しく消えた愛する人の笑顔のようなものだけだ。だが、消えた願いというものは空しいのだろうか。
- 泥沼の苦しみがぶちまけられないように、沼の底で黒い水を支えている最後のビニールシートのようなものが夢で見ている消えた願いなのではないだろうか。これがないと世界が一面の区別のない砂漠になってしまうような、必要不可欠な魂の一部を、夢で確認しているのではないだろうか。
- フジサンケイの記事だが、国内原発停止のコストは「消費税1%にも相当する」そうだ。たったの1%なら絶対にやめるべき。ついでに九州の人たちは節電しなさすぎ。「ドイツの脱原発 実態知らずの礼賛は禁物」 http://t.co/gYoUS3n
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