- ちょっと昼寝のはずが目が覚めたのは夜で、時差ぼけのような状態になってしまった。たるんでいるというより身体の機能が壊れているのではないかと心配になる。朝、近所の人たちと用水路の清掃をしたのが遥か昔に思える。
- 理由なくピンクフロイドが聴きたくなり、レンタル店に歩いて行った。探していた牛のジャケットのはなくて、代わりにこれも懐かしい「狂気」を借りてくる。ついでに「狂的なサウンドが全米を震撼させた」という帯の宣伝文句に心惹かれてテクノ系を一枚借りてくる。
- まとまった雨が降っている。窓ガラスにつもった火山灰がだらだらと流れている。風も強い。肌寒い。明後日上京するのだが、準備が間に合うのかどうか、いつもと全く同じだが、心もとない状況だ。どこに出かけていってもそこに幸福があるわけではない。小さな義務を少しずつ果たすことができるだけ。
- そういえば娘の声を2ヶ月聞いていない。今度会った時には息子だけではなく娘にも話しかけないといけない。自分にはフーテン的気楽さがあって、すぐに逃げてしまう。職場の社長を殴って逃げてしまうことを何度もした母方の叔父を思い出した。だが足を止めて打合えば相手を傷つけてしまう。
- 焦らずにじっくりやっていこう。その代わりに注意深く全てのことを観察して、残された短い時間の内に書き留めることができるだけのことを書き留めておこう。
- 人は目に見えない危険、多分自分のところには来ないと無意識に思う危険は過大に考えるが、実際に目の前に危機的状況が迫ってきた時には妙に冷静になり、その危険を過小評価するらしい。水が迫ってきても、これは何かの間違いだろうと感じたり、激突死する瞬間にも、多分これ嘘だろうと冷静らしい。
- 激突前の数秒間を、宇宙の無限の時間に照らして、例えば人間の50年にストレッチしてみる。この50年という一瞬の間、人は冷静であり不安から解き放たれ、あるいは解き放たれることを望み、自分が置かれている絶望的危機を「何かの間違いだろう」と思って過ごす。
- そして本当に激突するまで何もできない50年間だ。ハンドルを握りながら、あ、駄目かも、と思いつつも、何かの間違いだろう、と妙に冷静な一瞬を今我々は過ごしている。再稼働させたり放射性物質を拡散させようとしている人は「何かの間違いだ、忘れよう」と現実から逃れている人だろう。
- 自分はたとえ激突するのだとしても現実を見て行こうと思う。それにつけても報道番組等のアルカイックスマイルを見るたびに、ケンシロウの「お前はもう死んでいる」という口上が胸をよぎる。ところで「人」を「日本人」とするべきかどうかは自分もまだ判らない。「何かの間違い」と自分だって思いたい。
Powered by t2b
0 件のコメント:
コメントを投稿