- 昨夜は虫食いの小松菜を手に入れて、蒸して焼鳥と食べると美味なことこの上なかった。狂った勢いで報告書を完成したが、イオンに着いたのが9時半ではさすがに魚売り場は空だった。結構な量の大粒のアサリが50円の赤札で、豆腐と一緒に炊いて食べた。
- 嫌な夢を見た。自分の心に引っかかっていたものが明示される、恐ろしく明晰である意味単純な夢だった。深層心理の抑圧の正体ははっきり分かったけれど、だからといってどうなるものでもない。
- 人のために尽くすのが人生、という立派な学説。それが幸せの元、という利得誘導。だが自分は不幸せな人ばかり見ている。壊れた家、ややこしい関係、刃傷沙汰。身の回りでも仕事でも。心がけが悪くて、自分のことばかり考えているから不幸になった、なんて場合はあるのだろうか。
- 自分のことばかり考えている人は幸せ顔がてかてか光っている、というものでは。そもそも人のためになる、なんてできるだろうか。善意、愛情の底には支配への欲求がある、と強く感じるひねくれた自分。かといって善意を隠すのも阿呆みたいだ。まだよく思考が煮詰まらない。手がかりはあるのだが。
- 昨日あるひらめきがあった。よく動く目のイメージ。関係妄想を使って、そのイメージから回答を引きずり寄せてみたい。朝方苺が赤くなっているのに気づいて一粒取った。今年度三つ目である。
- 鯛の刺身と貝のみそ汁、ひき肉としゃきしゃきしたものを炒めたもの、蒸した青菜をハーフタイムで作り、声を聞くと何故か安心する松木さんの解説でサッカーを観る。芋焼酎はロックで飲む。辛いばかりのアサヒを甘く感じる。これはアドレナリンが出て怒りのあまり集中している時の体調だと知っている。
- 自分は人を切っている。何度も切っている。だから、失うと怖い、という感覚がない。スイッチが入ると果てしなく攻める。仮借なく叩きつぶさなければ今まで切ってきた人たちへの償いにならない。自分が切られても、それは償いになるのだから神の国での徳でしかない。
- 昨夜九時半に仕事を終えて仕事場を離れる時、これから買物と炊飯か、とうんざりして誰か助けてくれる人はいないのか、と一瞬思ったのを恥じている。人に恃むのは心得違いだし、同じ意味で人を助けようと考えるべきではない。そんな思念は自分の力を過信した傲慢に過ぎない。
- 何度考えても、間違っている気がしない。人は他者を傷つけることは出来るが、助けることは出来ない。家族も他者だし。助かっている人は、その人自身の力で助かっているだけなのだ。目的地のない虚空に物を投げ捨てる、ということ以外に人ができることはない。
- 目が落ち着いている人は間違った思い込みに捕われているのだと思う。そしてそれが思い込みでないことに気づいていないから、静かな目をしている。動揺して激しく視線を揺らす生き方を自分はしたい。よく動く目は心が開かれている証拠で、現実を見る目だ。死ぬ時も目を激しく動かしていたいと思う。
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