- 世間からは暇人と誤解されている我々だがもうかれこれ1ヶ月死にそうな過労状態である。別に誤解を解く必要もないし気力もない。自分以上に過酷な状況の関東の同僚に、「更に書いて送ってくれ」のメールをやむなく書いた。反省した。これは「バシー海峡をともかく渡れ」の意味になったのではと。
- 明日、中和するために撤退オプションのメールを流しておこう。その人はスキー教室の引率に駆り出されているようだが、雪山からでもメールは読めるだろう。
- 若い人の文章を直していて、「主婦は毎日食事を作っているがシェフになれない。だが高卒でも料理学校に行けばシェフになれる。目的意識を持って努力することが大切だ」という驚くべき文章に接した。「ぼくは頑張ります」の決意表示だからリジェクトしないが、この驚愕を彼は理解できるだろうか。
- 巷のシェフを凌駕する料理を家族のためだけに作るお母さんの群れを想像できないのは、仕方がないのだろうか…料理は芸術である。高度な芸術を家族のためだけに、バッハがカンタータを毎日作るように毎日作って跡形もなく消費している贅沢の驚異を、やはり想像できない、だろうな…
- 何故「洗脳」という自虐のネタを書いたか。「著作権保護を徹底しないと芸術が死滅します」というシュプレヒコールを洗脳と思っているからだ。その死滅後も人は目の前の人のために驚異の作品を生み出し、歌い書き描くだろう。芸術とは小さな挨拶に過ぎず、だがその挨拶の重さとはかなさが驚異なのだ。
- 芸術が富を生むのではなく富が芸術を保護するのだ。文化を保護したいのなら作家を家畜のように使う技術を話し合う前に、別の場所で富を作ってきて欲しい。それができない人はゴロツキということです。
- ゴロツキ、という昭和時代の言葉を使いたいためだけに、長いツイートをしました。
- もう一つついでに言えば、日々天文学的な量、生み出されて消費され名もなく消える作品群の過剰は無駄なのではなく豊かさの証だと思う。世界は無価値だが驚異の浪費に日々満ちていて、そのことが我々が色彩や音に満たされている理由なのだと思う。
- この石器時代の南チロルのおじさんを見たところで寝るとするか。今だけでなく昔からみんな頑張っていたんだ。彼のように考えてから喋ろう。「考えるのを忘れたら言葉が出ました」ではなくて。 Ötztaler Eismumie http://bit.ly/frKpoG
- @greenpal31 酔っぱらって気取ったことを書いてしまって恥ずかしいですね。ただ「喫茶去」ということは考えます。禅の人の解釈もあるでしょうが、自分の場合はお茶を飲む以上はできない、というような意味でですが。
- 部屋の前で待っているなんてストーカーっぽいよね。圧力かけるとマイナスに働くと気付かないらしい。相手の性格は正確に見ないと仕事はうまくいかないね。ぼくは圧力には圧力を返すタイプです。
- 確かにパンダというのは見ていて飽きないな。いつまでも見ていたい。竹を食べているだけなのに。それ以外のことはしないようだ。考えさせられる。
- @xtranoi 驚きました。特に政治生命を絶つと言う点。日本にもM原という子供大臣がいて「北方領土問題に政治生命を賭す」と言ったり「あれは言い過ぎた」とか言ったりで爪の垢でも煎じてみれば、と一瞬思いましたが、G氏の本心は雌伏後の復活では?
- @xtranoi 別れの挨拶が美しすぎるレトリックだったのでふと感じただけですが…あるいはカダフィほどではないにせよ、背負っている一族への責任もありそうなので。
- ドリフの再放送を見て涙する。みんなの肌がきれいなこと。長さんがもういないこと。加藤さんが元気だったこと。歌舞伎ベースの寸劇があった。みんな身体を鍛えた動きをしていること。今にして思えば笑いの前提である教養のようなものを感じること。
- 歌舞伎が得体のしれない変な人の世界と思われるようになった時代をかつては想像もしていなかった。ハードディスクがなくなっていくことも、Googleのクラウドに傷が入ることも5年前には想像すらしていなかった。あらゆる権威が揺らぐのではなくて消えることまでは想定していなかった。
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