2011年3月30日水曜日

2011-03-29

  1. 悲観論はデマの一種だから書くのをやめたはずだった。つい流出させてしまった。明日も驚くべきニュースがあるのに違いない。だが考えてみれば希望というのも驚きの一種なのだ。夢という微温的な言葉は嫌いだ。だが希望という語には切実な陰がある。
  2. 単なる言葉遊びに過ぎないが、だから今希望があるようには思う。分からない、と人が言う時には分からないということを分かっている。分かるとも分からないともいえない場所から驚きが来る。希望とか、絶望とか。人という要素を除外すれば、この二つは一つのものだ。
  3. まあともかく、希望というものはあると思う。植物は半減期を乗り越えるだろう。自らの死後に咲く花を愛でる、というのも、完結したそれなりの人生なのだろう。 恐らく、とにもかくにも。
  4. あ、あと一つハイネ的悪口雑言を吐こうとしたが思いとどまった。やっぱりそういう時期ではない。まあ、要約すれば、原子力発電は無理だからやめるべきです。どうしてもやりたい専門の人たちはロシアか中国にリクルートすればいいのでは。(これでも十分罵詈雑言?)
  5. 明日になる前にびっくりのネタが来た。プルトニウムだったとは…
  6. 鳴き交わす鳥の声がずっと聞こえている。日差しは明るく、誰かがチェンソーで樹を切っている音もする。確実に来る春だが、今回は時間に背中を押されている圧力にしか感じられない。重苦しい、有無を言わせぬ圧力で新しい季節がやってきている。廃品回収の車。やかましいばかりの平和の音だ。
  7. Opferschreinは決まった語がありそうだ。信者の人で詳しくないとわかないだろう。自分用のメモだからいいや、聖柩とか取りあえず書いておこう。だがこの「取りあえず」は普通そのまま残ってしまい、後々「?なんでこんなことをしてしまったのか、思い出せない…」となるのだ。
  8. 猫と二人暮らしは男やもめには厳しいのでは?要求が多くて大変なことだ。決して残業できない。逆に言えば人間のほうが楽というのは、人は要求せず我慢しているからということか。
  9. 昨日の湯豆腐の残りの白身魚をオリーブ油で焼いて、庭でむしってきたコリアンダーを散らしてみた。何でこんなことをするのかと思いながらも、身体が勝手に料理を作っている。旅人の無責任焼き、という味わい。365日レシピを考えるとなると頭がもたないだろう。
  10. ところで今日は武藤副社長はお休みなのか。見落としたのか。夕方車中で、余り趣味のいい話ではないが黙示録の朗読が流れ始めた。何か恐ろしいことを言っていることは分かるが、何を言っているのか定かでない天使の話し方を聞いて武藤氏の語り口を思い出した。

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