- 決して意味を悟られないようにして語る、というのは宗教者の説法に似ている。朝日新聞の人が武藤氏の発言の一部始終を記録しながらいい記事を書いているから、これを集めて宗教的言説のレトリックと比べるといいテーマになるのでは?自分は立場上できなから、誰か書いてくれないだろうか。
- 今日は悟りの真言は聞けない。ほっとする反面やや不安。だが弱い人のために祈っているようには聞こえないから、それが宗教的言説との違いかも。
- その朝日の人の記事は担当課長の名を挙げて、彼は本当のことを言っている、と伝えるものだった。それとは別に爆発している現場にとどまってぬるい本社に邪魔されながらも一人で事態を支えている人の記事も見た。現場にいる名も無き人の超人的働きが我々の社会の得手だと思う。
- 「副社長、この人に圧力をかけないでください」この地面に一番近いところが自分たちの場所なのだ。大天使が何匹浮遊していようとどうでもい。このことは今までも色々な言い方で言ってきたけれど、これからも言わなければならない。これからがある限りだが。まあ、あるだろう。
- 寝る前にもう一つ、気になった記事について、今日読んだものではないけれど、札幌の大学生(女性)のルポルタージュ、英語>独語化されたもの。その中の、「日本は豊かな国です、スーパーも24時間営業してるので」について。
- 「豊さ」の根拠が「24時間営業」であるという発言は結構見る。「豊かさ=活力」という日本の流動性神話のイメージか。あるいは、「いつまで残業しても飲食可能で対応できる、24時間働ける究極の生産性」が「豊かさ」の根拠ということだが、それだけ動き回らなければならないのは貧しさ故では?
- この学生さんが間違えていると言う意味ではないです。我々の根本イメージが「豊かさ=ぐるぐるせわしなく回っていること」ではないかと思ったということ。本当は蓄積された富というのは重く、大きく、動かないものなのだ。腹についた脂肪のような無駄こそ富である。
- 「夕方家に帰って、ゆっくり」というゆとりは「無駄」という勤勉なわが社会だ。だから5Mの低い設定でピタリと収めて無用の長物を作らない、が「経営の合理化」or「国税の無駄遣いの排除」で善、というのが根本イメージ、つまり「みんな」のコンセンサスだったのではないのか。この切り捨て時代の。
- 5mが想定されるのであれば念のため15mに対応させておくのが国富だ、というマージンの主張、ゆとりの主張を「ありえない」と非難し続けている人たちはいなかったのか。皆で一緒にぐるぐる回ってマージンを排除していたのではないか。
- 言語も文化も心も料理のやりかたも、ある一つの意匠に貫かれるのだ。時代というものはそのようなものなのだ。だから、時代という運命の責任であって、「人」は非難できない。誰も間違えてはいない。我々は無駄をなくすと富が生まれ、仕合せになるという意匠を信じていた。
- だが、それも数多ある神話の一つなのだ。無駄とか、無為とか、何だかよくわからないがやり過ぎの備えとか、空白のゆとりとか、渋谷駅で傷痍軍人が歌う歌とか、そうした無価値の価値を信じれる神話も生まれて欲しいな、と思う。
- 猫は2時間前に寝かした。白猫のために明日も残業なしだ。猫神話だ。というか日没前に地域の会合があるぞ。その後に夕食か。地元の方たちと時間軸が違いすぎるが、これもゆとりのためだ。
- メールを返信したところ、「東京ゲーテは安全の上の理由からしばらく閉鎖します。このメールは転送はされません」とロボットが返信してきた。我が都内の同胞は日本人であるがゆえに被爆を続けている。不自然すぎる。
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