- das leben der anderenについて、愛らしい感想文を書いてくれている人たちがいて、少し胸が熱くなった日。実はこの映画の弱点に渋い批判を加えている記事も集めた冊子も取り寄せていて、なるほどと思いながらも、やっぱりこのFilmは自分にとって最愛のものの一つなのだった。
- だがこのリア充と非リア充の人生の価値が等しいことに気づいたときに涙が止まらなくなる。
- 今日つまらない人に話しかけられた。若者を自分の萎えた制御棒で制御しようとしているくだらない人だった。世界は取れなかったが東洋チャンピオンだった血を引く自分はこの人を殴って殺してみようかな、とふと考えた。「この字画は不吉だ、人を殺す相だ」と印鑑商に言われたことがあるので。
- くだらない話だ。霊感商法の下世話なシナリオにすぎない。だが自分が不幸のまま、解決されないまま死ぬことは事実だろう。自分の不幸は、自分が人を傷つけたり、今も傷つけていることの結果なのだから当然の報いである。求めたことを得ることができる人と、できない人とに世界は分かれる。
- けれども今日は、のべにして30分程、Wieslerにとってもpublikumであるところの最愛の人と語り合った。薄青い春の気分に浸された白い砂の道を歩いている気分だった。ぼくはこの人に自分が本当に考えていることを、永遠に言わないのだと思う。
- 明日は熊本にいる。そのあと福岡をかすって帰ろうか、と思う。観世音菩薩のある寺に行って見たいから。この菩薩は盗聴しているのである。
- 今、ぼんやりと考えている…自分が考えているこの世界のイメージも、本当は決まり切った乏しい先入観に過ぎないのではないだろうか。この肉色のベールの向うに、実は恐竜の時代から続いている新しい世界が開けているのではなかろうか。自分は隠さず全てを語るべきではないだろうか。
- よく考えたが、やはり語るべきでないことはいつまでもそのままにしておくべきだ。語るべきでないことを語るために比喩があるのだろう。比喩はその向こう側にあるものを忘れないようにするために置いた石の印し、墓石のようなものだろう。
- 先週の土曜日に車のドアで挟んで箸が持てなくなっていた右手の指を、治った途端に家のドアで挟んだ。こういうのは身体の何か、精神の何かに原因があるのに違いない。その原因も複合的なものなので、決して見つけることは出来ない。だが探している間に治るから、探す意味はある。
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