2011年12月19日月曜日

2011-12-18

  1. 今が判断力のピークで、10年後に同じ力を維持することは多分無理だと思う。体力を失うから。本当の結論に届く前に心が切れてしまう。無理を重ねるのはここ数年だけにして、後方に退いて小さな領域の中で間違いのない仕事をするようにしたい。
  2. お爺さんと長身の息子が夕暮れの街を歩いていた。息子は毛糸の帽子を被って楽しそうに笑っている。悪いことも楽しんでいる小さな丸い顔だ。濡れたような赤い看板に養老の滝と書いてある。
  3. 今日は家族がいないので夜は老猫と過ごしているが、自分が見る限り二度食事をした時以外は全て眠っている。白猫の寝息を聞いていると、眠るのが常態で起きているのが例外、つまり覚醒時というのは眠っている状態から見ての夢のようなものではないかと思えてくる。
  4. 冷温停止ではなく判断の停止だろう。しばらく報道に接していなかった。猫が起きてきてテレビのヨットレースを見ている。多分白日夢として見ているのだろう。
  5. @oedipa_49 これはいい知らせですね。テーマはわかりませんが、美しい論文がまた一つ世に生まれるのかと思うと嬉しいです。
  6. 年賀状の図案をシラーにしようとしている。マールブルクの丘のシラーだ。寒い丘のてっぺんで独りぼっちで真実の世界を見つめている痩せた病気の男。真理を探す誰かがいることでこの世界は支えられている、とよく自分は説教するが、その心は規範意識の保持を求めているのかも知れない。
  7. 規範意識というのは人が自分の命を捨ててもいいと思える神的な何かと不可分なのだ。「親の指導力が落ちている」などと言う人がいるが、神的な何かの追求を「無駄」と切り捨てる科学的何とかにモラルハザードの責任が一部あると胸に手を当てて欲しい。
  8. かつては辞令交付の宣誓は「国民」に対してだった。国民という語の背後には命を捨てても尽くさなければならない他者のイメージがはっきりあるのだった。このイメージが道徳の基盤だろう。今では「某×流官庁の外郭団体」が定めた規則への忠誠を宣誓させられていると言う有り様。
  9. 道徳の根拠に気づかない、無視している、軽く見ている人が、若者の無秩序は親のせいだ、では分析力が乏しいと言うものだろう。×流の証明になってしまう。命を懸けられる何か、と結ばない道徳はない。職場の規則に命を賭けるバカはどの社会にもいない。
  10. ではその神的な何か、とは何か、だろうけど、文教行政は不偏不党とは言っても、例えば真理という言葉は使えるはずなのに。民間企業であっても国民なのか人類なのか、人々の福祉なのかの何かに奉仕しているのだと思うけど。「私の社員だのだから私の定めた規則に忠誠を尽くせ」ではただのファシズムだ。
  11. 規範、規則の向こう側には、好きな人を好きだと言う気持ち、何か弱いものを守りたいという気持ち、のようなものが隠れている。それをわかりやすい言葉で示したいのだが…簡単ではないというのも事実。

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