- 久しぶりに降った雨で土が濡れていた。素手のまま細かい雑草を抜いていった。イチゴがとんでもない場所にまで広がっていた。爪に泥が入って洗っても取れない。水を張って暫く掌を浸した。
- 明るい朝だが、真夜中のドイツのラジオを聴いている。真夜中の放送なのに人文系・科学系さまざまな学者が出てくる。「紙のない人」という言葉を知った。普通の病院に行けない人。それを助けようとしている人の低く響く声を聞いた。
- 時計は真昼を指しているのに、ラジオ放送の瞑想的な空気が耳から入ってくる。野豚はこんなに頻繁に路上に現れるのか。Temperaturänderungという言葉が美しい。五十を過ぎて失明した男性。カダフィが大量のサリンをため込んで試していたという報告。
- 複数形だから「紙のない人」はやり過ぎだった…。「身分証明書のない人生」が正確でした。ザールブリュッケンは今のかみさんと二人で自分が最初に踏んだドイツの地だ。今、この世にいる人が誰一人として思ってもいないことを自分は思っている。一つとして同じでない決して繰り返さない人生について。
- 一刻も早く衆院を解散してほしいな。もう田舎町でもそこいら中衆院議員の事務所だらけで準備されているよ。浜岡をすぐに止めると言える勇気のある人に投票するつもり。だが勇気の問題ではなく品位の問題か。そのような人が居ないというのが我々の絶望。自分で立候補でもするか。
- canonに電話して「返品の相談は受けられない、それは代理店がする」の一言に憤慨してしまって、大人げなくもねちねちと「その方針は非倫理的だ」とねちねち論じてしまった。サービスtelの若者を責めても何も出てこない仕組みになっているのはよく承知しているのだが、
- 「上にきいてみる」と言われれば「じゃあ上に言ってみろ」となる。「やはり上は窓口はないと言ってます」わからない知りません、と言って門前払いすることを「毅然とした危機管理」などといつの日から日本の企業は言ってのけるようになった。そして非正規雇用者と「協力企業」から搾る。
- 欧州資本がアフリカや中南米のコーヒーやカカオのおじさんから生き血を静かに絞る仕組みを猿まねして「グローバル化した」などとくだらないプレゼンをしている奴がいるのだろう。窓口の有能な青年に「できませんとだけ言え、書面は出さないと言え」と強要するマネージメントは日本的ではない。
- 80年代の資生堂に勤めていたドイツ人女性のインタビューを一時授業に使っていたことがある。日欧の経営手法比較を研究していた彼女は、「日本の強みは各職員に自主裁量権を認める柔軟性にある、ドイツ企業はそれができない」と語る。日本が自信に溢れていた時代。
- 「規約には確かに書いてありますが私の権限でやらせますから来てください」と言った鹿児島のカシオのTさんのような人はいなくなってしまったのか。高度な教育を受けた若い人に「ロボットにならなければクビを切る」と脅している奴は誰なのか。
- 構造問題が見えない中途半端な国際派が「欧米では当たり前です」とほらを吹いて、我が国の強みであったフレキシビリティーと平等を潰していった結果の姿。猿まねの国になって、守るべき知財などさしてない、むしろ焦って作らなければならないのに、「知財保護」と念仏を唱える勘違いだ。
- 復興のために自分も今生かされている小さな場所で努力していくことになるが、我が国の本当の現実を「みんな」は見ていますか。古い成功体験だけが語られ、その成功の根拠であった強みを売り払ってしまったのに、「強い国のはず」という根拠なき妄想に囚われているのではありませんか。
- 技術立国という時の技術とは具体的に何ですか。と質問すると律義な白衣の人は真面目に具体的にナノ某とか名指ししてくるが、その囚われも「夢」に囚われる姿にも見え、怖い。技術も智慧の一種であるならばフローであり変身する柔軟性にこそ力の源があるのでは?
- もし我が国がこの柔軟性という概念をまだ理解していて、自らの強みだと自覚できているのならば浜岡原発を停めるはずだ。停められないのならば船全体が沈むだけだろう。Canonが既に所持していると恥ずかしい奴隷主義者の目印になったのと同様、日本は恥ずかしい汚染の記号になるだけだろう。
- フレキシビリティーのことを考えていて、ドイツ語のzartもろい、zärtlich細やか、が連想され、リルケのオルフォイスを読み直そうと探したらこの頁に出くわす。このマリアの詩も美しく思えたので。Toward the Sea : リルケ http://bit.ly/hVaXS9
- 実は今13時50分なのだが、赤ワインとビールで既に酔っているのだ。全く以て柔軟性に満ちた生活態度である。運転はできないので、シャツのアイロンがけをしたら歩いて温泉街まで行って入浴し、その後酔いざましの歩きで研究室にでかけてやり残しの仕事と片づけよう。
- 実は今13時50分なのだが、赤ワインとビールで既に酔っているのだ。全く以て柔軟性に満ちた生活態度である。運転はできないので、シャツのアイロンがけをしたら歩いて温泉街まで行って入浴し、その後酔いざましの歩きで研究室にでかけてやり残しの仕事を片づけよう。
- テキスト全体を読もうと高揚して意気込んだが、「オルフォイスの果実のトリオ」という語を見て出かけることにした。ラジオで聴いた失明した人の「全てを知る必要はなく目の前の領域に生きる」という話につながる果物のトリオ。ワインから猫相手に芋正中に移行している。もう出かけないと。
- 緑の枝の明るさを写したかったのだがどうしてもうまくいかない。五時のサイレンが鳴り、巫女のアルバイトの女の子たちが歩いていく。袴のオレンジとも赤とも言えない色は中国にはないものだ。zaertlichなので細かいことが目に刺さって仕方がない。
- 満開のツツジ、夕陽の逆光だったが炎群なる真昼、というイメージを思い出して写真に撮ろうとしていたところ遠くから名前を呼ばれた。バーベキューの匂いがすると感じていたのだが、土木科の某研究室が酒盛りをしていたのだ。蛭児神社と石體神社の間の小川のほとり。
- 土木のリッチ研究室の一群と別れて温泉街まで降りた。濃い紫の菖蒲が大量に咲いている一角があった。花札の色とは違う。あれは色の再現ができないと覚悟しての様式表現。カメラも効かない。生の色を残すという単純なことができないことに気づいて少し嬉しくなった。
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