2011年4月25日月曜日

2011-04-24

  1. 今朝は二つ映像を見た。一つは偶々食事中に流れたNHK衛星の外国ニュースだ。ベンガジのニュースでマルクス主義者という政党の名を聞く。オーストラリアのニュースは始めて見た。彼らは自分たちをアジアの一員と位置づけていて情報収集に余念がない。こちとらから見るとあんた誰的違和感があるが。
  2. ドイツARDで見る東京の反原発デモ、ごく僅かの参加者が雨に濡れている映像、我々が完全に見慣れている映像。いつも感じる軽い焦りと諦めの感情は一体何なのだろう。外国の文学は読まれない。翻訳出版点数は小さな韓国に抜かれたとか抜かれるとかの話を去年聞いた。
  3. 都内の書店を歩いては地方では見ることのできないそれらしいものを探して、職場の図書館に置いてもらうよう頼むのが去年までの仕事の一つ。だが大量に積み上げられた美しい背表紙の書籍のほとんどが、人間を捨ててロボットになるための啓蒙書だと見立てると、確かに息苦しいな、かなり。
  4. 都内に戻るのも楽しくないかもと考えることがある。東京の友人にこれを言うと絶対信じないで反論してくるが、首都圏の食べ物は本当にひどいのだ。だが物を書いたり写真を撮ったりするのには関東は対象に事欠かない。田舎は運転できなくなった時点で人間を終えなければならないから無理か。
  5. @greenpal31 山を取り囲むように祠があり、祠群は空港近くの天皇陵まで延びているらしいです。蛭児神社から大隅国府方面にかけてが「なげきの杜」だと書いてあります。また二つの神社の中間にあった寺は明治期に完全破壊され、本当に何も残っていないという意味で見どころがあります。
  6. そう言えば昨日奈気木の杜を歩いて写真を撮っている時に、フランクフルトで調達した朗読CD「哲学をすると人生が良くなる」を聞いていて、タイトル同様楽しい内容だったのだ。名によりも存在論としての哲学がかの地でまだ生きている気配なのが嬉しい。
  7. 始まり、を根拠づけようとする延々とした議論。楽しい。「人間は知る必要のないことまでも知ろうとして問いを立てる存在」、その通りだ。人は生まれてきた意味を確認しながら生きようとする、誰でも。歌詠みはどこに流されて草になっても歌さえ詠めば存在できる。
  8. 猫だって生まれてきた意味を確認しながら今、眠っているじゃないか、と自分は考えてしまう。そうでなければ「頭をなでてくれ」と彼らが言いに来るわけはない。人を呼ぶわけはない。この認識の違いが、結局問題なのでは、と思う。
  9. 驚いた、気になって少し調べたのだが、昨日土木の人たちが肉を焼いていた東屋は「神代聖跡高千穂宮跡」としてHPに紹介されている場所だった。高千穂の宮殿跡で肉を焼く、という川柳だか狂句だかが一句できた。
  10. 夜10時、図書館脇の樟の森でカラスたちがずっと喧嘩をしている。卵を温めている雌が戦っているのだろうか。この近くの人間界では不気味にもインフルエンザが密かに流行っている。嘔吐下痢の人も結構いる。と書いているうちに急に声がやんだ。急に静かというのも不気味。大丈夫か、カラス。
  11. 守衛さんに挨拶して部屋に戻ると、仕事机のMacの画面がスライドショーになっていた。まだ幼稚園の娘が田舎の遊園地の遊具で空を飛んでいる写真。南国の紫外線にひび割れたプラスチックの椅子を鎖で吊ってぐるぐる回すだけの乗り物。そういえば娘はこれが好きで何度も何度も繰り返し乗っていた。
  12. 錆びた鎖が切れてどっかに飛んでいったらどうするんだ、などと子供は考えない。大人が作ったものだから大丈夫だと信じている。だから絶対に壊れないものを作らなければならなかったのだ。そんなことを思ってこれから1時頃まで特別な仕事だが、頑張っても免責されない。
  13. 娘は父親が子供を捨てて仕事に逃げていると思っているから、もう言うことは聞かない。この写真は懐かしいな。だが胸が痛むからエディタをいじったりの機械的な作業をしながら同僚を待とう。

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