2011年7月5日火曜日

2011-07-04

  1. 前にもあったのだが、ブレーキペダルの下にペットボトルが入り込むと本当に困る。自分の車は足下にボトル差しがあるからこういうことになるのだが。
  2. 子供時代によく両親に連れて来られた南伊豆の温泉場の橋から川底を見ると、大小のきれいな石が滑らかな水に洗われている。清潔な草を食べる川魚が安心しきって泳いでいるのも見える。その石の一つ一つがぼくの友人たちで、よりそったり転がったり小さく削れたりしている。
  3. 川底の石たちはみんな楽しそうだ。太陽の光は淡い緑色だ。誰も上から見られているなんて気づいていない…これもあまりいい夢ではないが、職場で怒鳴りあっている泥縄的な夢よりもだいぶましには思える。
  4. 横須賀にいた頃はまだ角の尖った野卑な車が走っていた。交通事故で死ぬ人が多かった。タクシーが男の子をはねてしまったことがある。頭から脳がこぼれ出してしまい、運転手の男性が子供を抱いてこぼれる桃色のものを手で塞ごうとしながら、「誰か助けてやってくれ」と泣き叫ぶのだった。
  5. 今の住まいの近くのスーパーでも駐車場で男の子が死んだ。逃げた男の人も確かタクシーが仕事の人だった。普通の展開だが、捕まる前に首を吊って自裁していた。ぼくも罪深く、この運転手さんたちの近くにいる。自分を裁かなければならない時は突然やってくる。
  6. 理想の関係や正しい社会を作ろうとして崩壊する。自分の受け止める力が十分ではなく、目の前で絶望する人を助けられず見殺しにするどころか火に油を注いだり…硬く小さく無力な自分が許せない。「開かれ」のイメージは「神々を受け入れる」に結ぶが、自らの狭い身体を開いての自裁ともつながる。
  7. 美しい理想との蜜月を記したヒュペーリオンが好きだ。時々ちらとそこにある文字を見るだけで落ち着く。だが蜜月が壊れた後の讃歌は、喜びの讃歌ではなくて暗くて怖く、危険だ。自裁を強いる声との格闘。だが裏には「自分」が進化すれば全てがうまくいく、世界が変るはず、という楽観論がある。
  8. 自然世界と自分は連続している、だから自分が世界を動かせるはず、という強い自己信頼。自分の力への自覚があって初めて世界から受け入れられていると感じられる、一人前の、世界と対等の存在として。力に満ちた戦士である喜び。ギリシアの蜜月の裏の感覚。「全て自分のせいだ」は力の自覚と表裏だ。
  9. 自分自身を諸関係の中に置いて薄めて、動かしがたい状況に翻弄されるだけの小さな石ころと見立てて、「仕方がない」と呟くことと、正義と理想と自己責任からなる世界とのひどい落差が自分だ。強力な神的な自然を離れて、小さな自然に戻らねば、と思う。
  10. つまり土に触ったり、他の生き物に手を触れたりすると自分の小ささがわかる。イエスの横に立つ、という詩も自分の小ささを確認するということだろうか。夜郎自大になるという意味でなく。
  11. 学生時代に書いた観念小説のような文を書き連ねてしまった…青春の文学に触れたせいか。だが目の前にいる若い人たちに、この青春文学の香りが皆無なのは何故?観念にはペテンの臭いがするからだろう。「では知ってて何故観念を使うのですか」と質問が来るだろう。「観念にリアリティを感じるから」

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