2011年7月17日日曜日

2011-07-16

  1. 地方にいると知り合いに偶然会う場所、高速バスの停留所に立っている。もう一つ同様の場所は空港ロビー。福岡に向かう西鉄バスを待っているところ。乗れば座席も広く寝ていけばいいだけだが、夕方近くまでかかるトロトロとした長い旅なのだ。
  2. 何もかもうまく映し出されているが微妙に違う。服なのか、顔なのか。多分、心が違う。この美しさは、囚われる必要のない旅人の自由な心が見る景色だ。黒っぽい蔦に縛り上げられるような恐怖がここにはない。
  3. 仕事で必要だがらとジャケットを持参したが、正解だった。車内は冷蔵庫のようにキンキンである。さすが九州電力管内。そうだ、昨日書けなかった仕事のメールを出しておくか。
  4. 宮原で一時停止した映画がまた動き始めた。改めてこの薩摩の映像はいい。画面の薄暗さがいい。常に露出オーバーを避けているのに奥行きがある。濡れたような人工的な色合い。音を聞いていないので話はわからないが。
  5. 何故、この世にはいない旅人の心持ちになって、この世の色を美しく塗り替える必要があるのか。お前、無責任だ、といくら自分をなじっても、この人工的な眼鏡を外すと何も見えなくなってしまうんだ。ヒデさんを見ていてもわかるように、旅人は寂しいんだが。
  6. 天神で昼ご飯だったが、折角だからと那珂川の辺りまで歩いて夏の昼日中だというのに水たきを食べ、選ばれた芋焼酎か並ぶ店だったので、やはり折角だけらということで黒瀬のトロンとしたロックまで飲んだ。ジュンク堂の窓際の止まり木にびっしり人が並んで読書をしている。
  7. 既にだいぶ飲んでいる関西弁の中高年の一団の声が響いている。鹿児島の酢味噌の使い方や沖縄のミミガー、やぎのチーズのような豆腐を話題にしている。自分が食べている鳥料理も信じがたい美味なのだった。東京の人に申し訳ない。江戸開闢以来東京圏は食文化が薄いのだ。
  8. 自分のツィートだけ夜になっている。他の人と空気感が違いすぎる。バスの中で今韓国語が鳴り響いている。
  9. 途中ふざけたこともしたが移動を終えて佐世保に収まっている。明日の道順と段取りを確認してから西日の街に出ようと思う。崖や階段の風景やのそのそ歩いている米兵などが横横あたりを思わせる、と書いてみたが、この西日は関東のものではない。
  10. 福岡の町は好きだ。今回はバス網がなくて途中下車を余儀なくされたが、望むところである。太宰府インターあたりから見えるこまごましたビルの連なり、うどん屋や靴屋、ゲーム屋の看板、どうでもいいもの全てが胸に迫ってくる。だが街を歩く若い人たちの色彩の強い服のセンスは異国のようだ。
  11. 街が好きなのではない、本当は。その街の記憶を共有する人への思い出がただのうどん屋の看板にオーラを与えるのだろう。結局人間は人間にしか興味がなく、人間によってしか救われない。街も国も世界も時代も、そこにいた具体的な人達の身体を隠して、隠すことで何か永遠なものに変える不思議な比喩だ。
  12. 居酒屋で煙を吸いなからなんとなく見て思うけど、お父さんとお母さんか話して笑ってない家って寂しい、お金の問題じゃなく。やっぱり笑ってないとならない。この世にいても、この世にいなくても。
  13. 海に近いでかい道、右に緩いカーブ、碁盤目に区画整理された長細い一角、その先の適当に線を引いた飲み屋街、デタラメな匂い、白いペンキ、という一単位。スナックとか書いている赤紫の文字。

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