- 佐世保を出る。昨日の夜からずっと、長かった。大人用のジュース(缶ビール)を買って、福岡行きのバスに乗り込んだところ。タコスだけでお腹がすいていたので、いじましく回転寿司をつまんでから小走りにバスセンターに向かった。
- 博多で乗り換え、久留米ラーメンを食べる。獣臭くなったと思う。西通りのアップルストアの前を水色の浴衣の女の子が横切っている。ガラス張りの音楽スタジオで着飾ってコーラスの練習をしている人たちがいた。自分を福岡に縛り付けた彼女の苗字を質屋の看板に見て大変驚く。
- 丁度日没後の青い暗がりにバスが出たので、海辺の建物も船も虹色の照明が散らばって美しいことこの上ない。だがDämmerungは怖い。昔恩師がこの言葉こそ美しいと言っていたがどうしても理解できない。
- 福岡の街を歩いていると、ここには昔の自分が蜘蛛の子を散らした、という塩梅で散り散りに歩き回っているような気がしてならない。土地の精霊に挨拶をする。西鉄電車の青とも緑とも言えない色を見るだけで悲しい。この色は白いペンキをたっぷり混ぜたものだ。
- 死ぬときに一人ぼっちだときっと辛いだろう。かつては考えたこともなかった。一人ぼっちで人を死なせることも耐えられない。かつて考えなかったとは随分冷たい。今自分に刃向かっている子供らも数十年後にこの気持ちになるのか。だとしたら優しくしてあげるべきだったか。
- 今沢山の友人知人同僚と接して気が紛れるが、友人というものは死の床に付き合ってくれるものではない。もうすぐ死ぬようです、お元気で、とメールを打つぐらいのものだ。家族、と一概に言ってもありようも関係も全く様々だけらよくわからない。
- 佐世保ではヒラマサの刺身を食べて焼き鳥の煙を浴びた後、バーで二種類のモルトを飲み比べてみた。邦人バー、外人バーという言葉をマスターに教えてもらう。彼は英語が苦手なので外人バー地域に店を移転したが、その日はたまたま米兵軍属男女若者で大賑わいで困っていたらしい。
- そこで英語の堪能な元店員の若い女性が呼ばれたらしい。会計時陽気なアメリカの人がパーティー文化ののりで合流してと誘っているようだ。「今、second houseにいるからとか言ってたみたいだが、妖しい意味ですか」ときいてみると…
- 「ダンケというフランス料理(フランス料理?)の店の先にsecond houseという酒場があるんです」とのこと。実は今日昼ご飯を食べにメキシコ料理に入ったら昨日の彼女がここでも働いていて二人で仰天した次第。
- 同様のトンチンカンなことを日本中で繰り広げて退屈とは無縁の人生だったが、自分の恐ろしい不徳のため最も大切な青い鳥を手に入れることはできなかった。というより青い鳥がいても大事にできずに食べてしまうワニのような鈍感さが情けなく、恐ろしいが治らないだろう。
- ワニは伊豆のワニ園に入るべきだ。そこで他のワニたちと闘え。だが、闘う、という比喩は何を意味していたのだろう。努力し、闘ったことがもしかしたら間違いだったのではないだろうか。自分は今何に気づこうとしているのだろうか。
- 心の成長も覚醒も、成果のない手遅れとして常に訪れる、ということだろうか。このような詩を好む心ではなく怯える心が欲しい、と思うがワニの小さな頭ではそれは無理なのだ。ワニはワニ園に行く。ゴジラの場合は南海に帰る。バスは南下中。変な日本映画。
- バスを降りたら大雨。傘はもちろんなかった。
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