- 今、撮ってきたSalzburgの写真を確かめているところ。この道端に立った瞬間に、しがない自分のユニクロのシャツの胸にも日の丸がついてしまうのだが、誰もこの印の意味について語ろうとしない寂しさに、苛立っていたのだろう。
- 授業から離れる=話し相手を失う、と途端にBiedermeierに陥るとは…自分はリタイアした瞬間に燃え尽きてしまうタイプなのだろうか。ホワイトカラー引退後は築地で肉体労働、という父親の選択は、自分にも合っているのかも。
- @xtranoi Berlinは好きです。Alex広場の焼きそば屋の匂いを嗅げるのはうらやましいです。Salzは不気味だがInnsbruckは好き。あちこちに滂沱の故郷はあるのに、今親がいる下町が自分の死に場所かと感じるのは何故なのかと思います。日本とはいえ実質異国にいると、
- @xtranoi 客死、の寂しさに気づくようになりましたが、薩摩で死ぬよりBerlinの方が許されるかも。Evangeliumは出自とは無縁の考えですか。去年Münsterでミサを見て、ここで異人が死ぬことは許されていないと痛感しました。Berlinはまだ優しいと感じるんです。
- ざんざん振りの雨、涼しいが窓辺はびしょ濡れ。電信柱が滲んで見える。鳥も虫も黙り込んでいて、雨が道を叩く音だけ。
- 咽が痛む。急に気温が下がったために、体調を崩したらしい。情けない。雨が止んで太陽が差し始めた。今度は暑くなるのだろう。静まり返っていた蝉たちが鳴き始めている。世界は単純すぎる。生き物は手短に、一度だけ生きればそれで十分だろう。世界も昔思っていたほど広くはない。
- ふがいない僕は空を見た、という小説がよくできていて、図書館に推薦したいのだが勇気が出ない。特にセイタカアワダチソウの章は読ませたいけれど、そこまでに至る性描写に幻惑されて読むべきものが目に入らない可能性がある、ぼくの回りにいる若い人たちの場合。推薦はやめておこう。
- 雷雨でずぶ濡れになった。稲光で空が真昼のように真っ白になる。落ちるなら俺に落ちてみろ、と黄色いゴミ袋を抱えて駐車場を行く。去年ドイツでZEUSと徒名をつけられた同僚の日本人を思い出した。子供がないまま初老になったからツォイスに見えたのかな、と思う。
- ゼウスは子供を作りまくったが、育ててはいないから力を保っていられたのだ。普通のお父さんは初老の頃には疲れきって、あばら屋めく居酒屋にあばら骨をさすりながらそっと隠れて、苦い液体をちびちびと舐めるのだ。
- 机の引き出しには魚の形をした入れ物に醤油が隠してあり、クローゼットのはじに五合瓶が差し込んであるからお刺身をくすねてくればすぐに居酒屋になる。ドアを開けると広い吹き抜け、渡り廊下の奥は猫のトイレ。錆びたギターを奏でたくなる間取りだ。
- 雨足が弱くなってきた。水音が寂しげで弱々しい。樹木が水を飲んでいる。サギが短く鳴いている。罪を償う時間はまだ残っているだろうか。多分ぎりぎりだと思う。
- 雷雨がすっかりいなくなって、虫が鳴き始めた。自動車の車輪が、乾いたくしゃくしゃの紙を踏みつけている。道路がびしょ濡れなのだろう。helianではなくgaronneと名付けたのは正しかったと思う。海の近くで生まれて、海を見て育ったからだ。
- 最悪、日本のワインを試しに買ったが、やっぱり悪甘い。赤玉パンチという古い商品を思い出した。テリヤキの味わい、サンマの缶詰めの味わいです、とラベルに書いておいてほしい。
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