- あまりに理不尽な人がいて猛烈に怒鳴りかかってくる。こうした場合自分はいなしたりかわしたりをしないために、悲しいことに最後は自分が罵声を吐き続ける展開となってしまう。これは尾を引くだろうが仕方がない、愚かな生き方なんだけど。
- だが本当に悲しかったのは老いて弱ってしまった自分の体で、血圧の上昇とともに猛烈な頭痛が襲ってきて吐き気で目の前がぐらぐらし始めたこと。「俺が言ってやったらあの馬鹿の血管が切れやがった、だから俺は勝った」と言われるのが癪に障るので堪えていたが、痛みに気が遠のく。
- よく理屈を立てて喋っていたと思う。喩えれば頭の中で鉄アレイが巨大化して目から飛びだすような痛み。弱みを見せられないので20時半の仕事終了まで顔に出さないように耐えたが、家に入るやのたうち回る感じ。遂にくも膜下切れたか、と考えたが、呼吸も出来るし意識はあるので、慌てないことに。
- そうして朝まで脳内で巨大化する鉄アレイとともに寝たり痛みで起きたリを繰り返した。この一晩で気づいたことがあった。一つは人は倒れても、助けを呼ぶばないこと。他者を意識できなくなるようだ。かりに「駄目かも」と思った時には電話もかけられないから一人で死ぬことになるだろう。
- 家族には連絡しないこと。困らせるだけだし、死んだあと気づけば十分だろう、と考えるようだ。全ての他者は意識できず邪魔でしかなくなる。駄目なら一刻も早く苦しまずに終えるということに全神経を集中させるらしいこと。思い出が走馬灯のように、はよく言われるが、ありえない。
- 朝方痛みがかなり和らぎ、風邪でひどく頭が痛い程度に。すると、大丈夫かも、と考え始め、そのあと軽い鬱がやってきたこと。「死ぬかも」の状態の時には心は結構活発に動いていて、「あの世に行くという仕事をさっさととすませよう」に集中するらしいこと。哀しみは全くないこと。
- 「死なないかも」に心が微かに変容すると、「そうだ、あの人に挨拶しておかないと」と考え始める。ロマン派にがっかりするのは、彼らが使う死のイメージが、本当は「俺、生きられるかも」というゆとりを含んでいるという矛盾で、いささか格好が悪いからだろう。
- 「そうだ挨拶を」は直系の家族の5人以外には二、三人だった。そういうものなのだろう。この夏会った二人の友人と仕事で特に世話になっている人。
- 和らいだとは言っても、普通に風邪をひいた時の激しい痛み程度は残っている。外来の時間を待ってMRIを取ると、当然「血管は切れてませんが、膨らみかかっているところがほら、ここ、分かりますか、3〜4年後くらいに危険な大きさかもよ。1年後に検査するべき」と言われる。
- 何となく、獣医さん、という言葉を思い浮かべながら、田んぼに囲まれた脳神経外科を後にした。温泉街を抜けたが、頭が痛くてとても寄る気になれない。手を延ばしたところに池澤夏樹の火山学者の小説があり、何故か猛スピードで読み始める。頭が爆発したからか。
- 浅間山の形や、北軽という地名、横川の釜飯を懐かしく思い出したり、「東京の人が汽車と言うか」などと悪態をつくまでに読み終える頃には回復した。走馬灯のように、はないから、思い出はまだ元気なうちに思いだしたり言葉にしたり、書いたりしておいた方がいいと思う。
- @Merz___ ありがとうございます。だいぶ回復しました。もう少し頑張ります。今まただらだらと少しずつ書いている詩の「ぼく」はいい加減な男で、池袋の連続殺人犯という話です。何でこんな人物が出てくるのかわかりませんし、縁のない池袋なのかもわかりません…
- 家内が残していったイタリア料理の本を読んで、ようやくまともなパスタを作ることに成功。Apple製品を使い始めてからマニュアルを読まない習慣になっていたが、たまには読まないと。青唐辛子と思って今までバリバリ食べていたあれが、赤くなっているので驚く。赤唐辛子だったのか。
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