2012年8月29日水曜日

2012-08-28

  1. 死は敗北ではなく人生の完成である、という主旨のツイートを見たが、その通りだと思う。だが身を縦に引き裂くように哀しいことには変わりはない。会いたい人ではなく会うべき人に会ってから死ぬ、ということが寂しい。望みとか願いとかは叶わない。義務の方が重い、ということが正しいのが少し寂しい。
  2. 子供時代に死ぬのであれば、親に会いに行きたいと思って死ぬ。その子は会いたい人にたどり着けなかった、ということだが、そのことが親は哀しい。自由に解き放つことに至らなかった、ということが辛い。だが、多分全ての人が会いたい人にはたどり着けない。恐らくそれほど重要なことではないからだ。
  3. だがこういう死、というのは甘い出鱈目の思考実験のようなものに過ぎない。苦痛が想定を越えているため、ただ早く向う側に渡って解き放たれたい、と願うことに集中するから、会いたいとか会いたくないとか、哀しいとか感じる余裕はないはずだから。
  4. ともかく、早く寝て明日も義務のために生きよう。課題多し。これが現実である。夢は気持ち悪い。まるで自分が書いている肉の詩のようだ。夢よりも現実の方が汲んだばかりの炭酸水のようにすっきりとして美しいはずだ。
  5. あまり風は強くなかった気がしていたが、前庭の杉が倒されていた。やはり西側を通られると激しい。かなり中心から離れていたので油断していた。次は気をつけよう。こんなのがまともに来たらどうなるだろうと思うと恐ろしい。ダンプカーが真正面から突っ込んでくる感じ、というか。

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