2012年8月26日日曜日

2012-08-25

  1. 途方もない親子喧嘩があったようで、かみさんのマンションを叩き出された息子を夜、迎えに行って大量の荷物とともに北の街に帰ってきた。彼は自分の話も聞かない。小さな塗り壁のようになって不安と憎しみの涙を流すだけである。
  2. 明日からどうしていいのかよくわからないのだけれど、ともかくどうにかする。無秩序に生きることを想定していなかったが、これも無数にある人生の一つで、自分に委ねられたのだ。鬱の悪夢にワインで安らごうとしていたが、超緊張の悪魔のワインを飲んでいる。
  3. 鬱と緊張の相乗効果、というか、無限ループというか、どこまで飛んでいってしまうのかよくわからない。人は想定外の風に吹っ飛ばされる軽石でしかない。穏やかに堅実にいたわりあっているように見える人たちでさえ、恐らく色合いの違う嵐に耐えているのだろう。
  4. 自分が死んだ後、自分が掴もうと切実に望んで掴むことの出来なかったものに向けて、無邪気な植物のように手を伸ばしてくれる誰かはいるだろうか。多分いない。その「いない」感が自分に定期的に訪れる鬱の正体だと思う。
  5. 掴むことが出来たのは1で、掴むことができなかった切実な何かが99だと思う。その99のうち、1〜2は本当に心から手に触れたいと願っていた何かである。シューベルトを聞くことがある。突然切実に暗いあこがれの色調に音が転じることがある。
  6. この旋律のようにして切実に日々生きればいいのだ、と思いながらも、この美しい音の流れは不自然な虚偽でしかない、と見ている自分もいる。この和解の世界は嘘だ、とわかっていて、美によって忘れてしまえばいい、と嘘をついている自分もいる。酔っぱらって何が悪い、と嘯く自分もいる。
  7. そして結論はいつも同じ。手足がテンデバラバラの方向に飛んでいってしまい、残った胴と頭が哀しんでいる。だが哀しむ、というのは生きる意味を教えてくれ、という哀訴だった。そんなものに意味はない、早く死ね、と木霊が返ってくる。そんな酷いことを言うな、と憤る。ぼつんと潰れるあぶくのように。
  8. 目指す高見に突き進む、という使命感も美しいが、何というか、常に同じことを同じ人が繰り返す、というのは無駄ではなくて、美しく価値の高いもののように思うようになった。「このお爺さんは毎朝同じ時間に交差点に立って、子供の安全を自分の目で見届けている」的な繰返し。
  9. 仕事も生活も、新しい展開に逃げるのではなくて、いつまでも安定して、そこそこ続くようなありようを目指すことが本来的なのではないかと考えるようになった。悪とは何かといえば、繋がりを絶つこと、と最もシンプルな定義も可能である。
  10. 人と人とのつながりを絶とうとすることが悪だ。それを保とうとすることが善だ、というシンプルな試験紙。

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