- 火山の小説を読んで思ったのだが、小説というのは感動的なものなのだろうか。詩や音楽、絵画を通して得られるカタルシスを小説を読み終えて得たことがもう随分ない。自分のおぼろげな記憶では、新宿鮫シリーズの「毒猿」以来ない。その後は語るためのネタとして読んでいるだけ。
- どんどん読むし、面白いと思って読んでいるのだろうけど、感動はしない。何故?詩は感動だけで成り立っているのに。要するに同じ文学でも天と地よりも違うのに違いない。
- 朝は河原の除草作業のボランティアだった。行く前は億劫だったが行けば気晴らしになる。遠くに台風がある時の、空気全体が北から南に持っていかれる風の吹き方で、日差しは激しいが涼しくもあった。雲がどんどんと出来ては流れて、隙間の明るい空は深い水色だ。
- 多分見張りの蜂が、「えさ場を荒らしている敵がいる」という指令を出したのだと思う。湧き上がるブンブン音にびっくりして顔を上げると、蜂の茸雲が出来ていてこちらに殺到してくるので走って逃げる羽目に。トムとジェリーでトムが同様の状況で刺されまくっていたシーンを見た覚えがある。
- 二の腕と脇腹を刺された。二の腕は刺し傷が見えたので毒液を絞り出しておいた。自分を愚かしいと思うのは、この後、急にやる気になって蜂用殺虫剤「マグナム」を躊躇いなく彼らの家というか村に発射して全滅させたこと。
- 週末には馬鹿息子と馬鹿娘がバーベキューに来るらしいので取り除いておかなければならない拠点だったのだが後味が悪い。自分を刺しにきた蜂達があちこちに落ちてもがいて死んでいる。彼らはただ誠実に社会を作って暮らしていただけなのに。
- 蜂の死骸を見てすっかり寂しくなった。昨日読んだ小説の台詞を借りれば、「死んだ彼らの命は中断したのではなく完成した」という言葉を使って自分を慰めようとするが、それだけでいいのか。「二度目に刺されるとアナフィラショックで死ぬことあるよ」と言うが、仕方がない、死ぬに値することをした。
- 「マグナム」を放つ、というのが卑怯なのかな。拳を交えたり、言葉でやりあったりしないで遠くから発射するのが格好悪いのだと思う。それにしても高血圧脳症の次は蜂毒か。
- 遠くから大砲を放つ、というのは弱者の戦い方だ。剣やバールでアコースティックにぶちのめしてこそ仁義というか正義というか…だがその方法では人類は間違いなく蜂に敗ける。弱いくせに殺して、「結果を見れば自分が強い、結果が大事」なんて考えは自分にはない。この世は弱い奴の方がはびこっている。
- 地獄絵図を描いた人たちは、恐怖から描いたのではなく、人間の不誠実への怒りに駆られていたのではないだろうか。
- ジャンキー文学を認めていないのにトラークルだけは同情している理由について、ぼそぼそ考えていたがまとまらない。保留しよう。この週末は気に入っているlittle talksを何十回もリピートさせた。哀しくて正直な歌詞が好きなので。明るい版 http://t.co/0uneOnfS
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