- 「提喩は、実例を示すようにして対象を描写するメタファーとは違う目的を負っている。「私の体験」という小さな何かを共有の大きな連関に引き上げてあげたい、という思いがこの喩法をもたらす」とまで書いたところで明日かな…寝る直前30分の最後の粘りもあるかもしれないが…
- 粘着質過ぎて恐縮だが、箱根駅伝を観て目に焼き付いているシーンを書き留めたい。中央大学のアンカーの人の必死のスパートの崩れたフォームについてだ。「正しいと習ったこと」をかなぐり捨てて身体という自然に身を委ねる決意があの走り方だと思う。
- 自分は感心したのだが、不徳のいたすところで揶揄するような言い方しかできないのだが…
- 三越前の左コーナーをインに差して猛回転のすり足めくスパート。見てくれを考えずに貪欲に必死になるという精神は自分たちの周りにもあるのだ、大陸だけではなく、と思った次第。こういう資質を持つ人が確実にいるということは頼もしいことなのだ。
- 中央大学、で昔聖蹟桜ヶ丘に住んでいた時代を思い出した。夜中に中央の陸上の人たちが駅前に机を出してロード練習をしていた。夕方になるとやたらとコウモリが飛び交っている街だった。
- 仕事部屋の水が臭い。日本茶を入れたが薬品臭く、身の危険を感じる。億劫がらずにミネラルウォーターを買いに出るべきか。仕事始めの日の初のつぶやきがこのようなぼやきでは、今年が大丈夫だろうか。
- 今年はエアコンを入れた。南向きの部屋なのでいつもは電気ストーブだけですむのだが…しかし乾燥した爆風が来るが暖まらず咽が痛いだけだ。掲示物も吹っ飛び始めたのでもう停めた。コートを着て仕事すればいいだろう。
- 手がかじかんでキーボードをミスタッチするので、またエアコン入れた。風量を手動調節すればよかったのだ。相変わらずバカだった。今は上半身は暖かい。新年の会まであと30分。
- 編集者時代の先輩からの年賀状を見て、その時代が鮮明に蘇り胸が熱くなった。深夜までゲラをいじり回して格闘していたが、仲間とチームを組んで当時世界の中心だった東京の中心でささやかながら現実と関わっている、という充実した高揚感が、今にして思えばあった。
- 給料安かったなあ。それでもみんなで会社を大きくしてやる、という希望と、現実の重苦しさに驚愕する不安が目まぐるしく交錯していた。職業人として必要な全てを教えてもらった時代だった。
- 春に上京したときに先輩に会いに行こう。仕事の話はないけれど、実務でもまれている人に触れて眠りかかっている実際感覚を見つめ直したい。10年は一瞬に過ぎる。自分は東に戻り既得権者の壁を壊す実務をもう一度始める気がする。死ぬ前にもう一度。
- その時にはやはり市谷界隈でないと土地勘がなくて何もできないな。魂は土地に縛られている。やっぱり湘南ではなく都内に住むのかな。願わくばその時代の都知事が「そのまんま東」またはその亜種でないことを祈ろう。田舎者に荒らされた東京では春の希望が萎えてしまう。珍太郎系も駄目。芸能界NG。
- 昼の仕出し弁当の刺身の味を思い出した。産地なので必ず食すブリ・カンパチだが、果物のように甘かった。信じがたい鮮度。関東に戻ればこのすばらしい食文化は失うが、仕方がない、故郷なんだから。
- ついでにターミネーター系も御免被りたいな。Schuldenbergはちなみに借金の山、直訳だが。 RT@zeitonline: Terminators: Schwarzenegger …Schuldenberg: http://bit.ly/ihKu9g (ft)#USA
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