2011年5月14日土曜日

2011-05-13

  1. やっぱり何かが違う。どこかで間違えている。人生は一回限りでやり直しはきかないという事実を見ていない、と言うような…冴えないことである。
  2. 歳を取った先輩達の晴れがましい式典に役目で列席した。自分が15年後にこの式典に呼ばれるかどうかわからない。別の職場の可能性、体調を崩している可能性の方が高い。誰かが言っていたが、定年まで勤められるということは当たり前のことではなく大変なことなのだ。
  3. その後の会議は激しかった。神経を使うが、こういうことも楽しい。彫刻刀を使って木版画を彫っている時の気分がした。小学生時代に一番好きだった遊びの一つ、木版。小さなことを少しずつ解決して整理していく感じ。
  4. 猫が甘えに来ているが、二年前に死んだかたわれのことを覚えているだろうか。いつの間にかいなくなってしまったと忘れただろうか。死んだ方の猫が死病の床にいる時に、別れの挨拶に行っていた。
  5. 今甘えることに夢中で、死んだシュべべルを忘れているのだとしても、心が冷たいからではないと思う。死者は吐く息や吸う息のようなものだ。言い残すことがないように常に努めないと。死はすぐに来る。今日は心配していたある人にオレンジを渡そうと思っていたが行き違いになった。
  6. 物に当たる人と人を傷つける人との間には、決定的な違いがあるのではないだろうか。絶対に人を傷つけたくはないがゆえに物にあたっている、と見るべきでは。それとも物に当たる行為がエスカレートして、人を物理的に傷つける例はあるのだろうか。
  7. 頭の良さを自分の身を守るために使う人と、他者を守るために使う人の違い。この違いも決定的で、人はこのどちらかである。同じ言葉を話し、同じ顔をしながら、人種の違いなどよりもはるかに断絶的な違いが人の間にあることがある。この事実を改めて見て、今日は惑乱した。
  8. 事実を踏まえないと不安になる人。だから嘘がつけない人。一方、事実を見ると不安で耐えられなくなる人。つまり破綻して人に迷惑をかけるよりも嘘をつく方が正義だ、と感じる人。この違いも決定的で、この二つの人のタイプをつなぐ共通項はない。
  9. 「人はおしなべて事実を見なければいけないと考えるはずである」という啓蒙思想は僭越だと思う。「嘘をつくのはいやだ、と思うのが人間の本質である」という主張も、上流階級の思い上がりである。世界は本当は底なしなのだろう。

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