- 解決不能のジレンマの中にいると、このまま身体が壊れるまで突き進んで倒れた場所が解決点だ、としか感じられないように脳にプログラミングされているのではないかと思ったりする。突き進む。「これは騙されているのでは?見誤っているのでは?」という懐疑をかき消すようにして疾走の感覚に酔う。
- 逃げることの解放感、快楽。高校生の頃にたくさん味わった。深夜のガソリンスタンドで給油する快楽。それを倫理感が打ち消す。罪の意識に苛まれるとき、人間は胴体から手足がすぽん、すぽんと抜けていくように感じるものだ。
- 逃げることをやめて修羅に立った時にも深い安堵がある。だがこのサイクルの全体が錯覚なのではないだろうか。本当はこの矛盾の渦の中心に愛情のようななにかが不動の点として変らずにあるのではないだろうか。人(自分)は何故この空白の中心を言葉にしようとしないのか。
- 疲れきった。放射性物質が腹の中でとぐろを巻いている感じ。人が生きたり、努力してもどうしようもない、と考え始めるのは駄目な方向。この状態では間違った判断をしてしまう。食欲ないが義務感でラーメンを食べたら、まずかった。
- ルターの詩に出てくる、強く、哀れみ深い神は、正義のために怒ることはしないのだろうか。「神はただ一人でそれを為した」「生のただ中にいる時にも 死に囚われている我らを」
- 私たちの周りには、怒りの神、破壊の神がいる。「破壊に新たな生が続く」はペテンだったのではないだろうか。このイメージは打ちひしがれた人たちを救う顔をして、実は暴力の行使を合理化するものだったのではないだろうか。哀れみ深く強く、だが果てしなく沈黙する力のない神に今は心惹かれる。
- 「3月下旬、私が風の情報をドイツ気象庁、ノルウェー、それにイギリスから得ていたとき、本当に哀しくなりました。日本人が自分の命を守るために、日本の気象庁ではなく、ドイツの気象庁までデータをとりに行かなければならない。それも100年に1度もない気象上の緊急事態なのに…」
- 「哀しい…今まで、真面目な日本、誠意のある日本、シッカリした役所などを信頼していた私。江戸時代から明治にかけての日本がヨーロッパより優れた文化を持っていたと書き続けてきた自分…」(武田先生のメール配信より)
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