- 市内の南側の景色も好きだ。緑の崖の山が背後に迫る、というありふれた海辺の町の光景だが線路と踏み切りが一直線に走っていてアクセントになっている。人為的な何かが入って初めて風景なのだ。黄色い路面電車から夏の服装の若い人たちが気怠く降りてくる。
- 堤防の方から来た人が、海沿いの国道を信号無視して渡ってくる。鬱に取り憑かれている表情の女性だった。買い物袋を勢いをつけて振り回して歩いている。数年後に振り子の勢いで明るい日がこの人のところに来るような気がした。振り回す動きが滑らかなのでそう感じた。
- Bachmannの詩を調べていたら恐らくアビトゥアを受ける人たちのネタの頁に入り込んでしまったらしい。大きな声では言えないが、このサイトは使える。こっそり使おう。要点を網羅して、よく整理してあるなあ。味が豊かだが、すっきりした味わいのこういう文章が好きなんだ。
- きちんとわけて整理しないとならない問題もあるけれど、この人たちは自分とは違う世界を見ているんだな、とつくづく思う。「リルケは不自然なまでに内面化をして自然から離れた」とか言うけれど、内・外を区別するから言える批判。内と外とを区別しない、というのがリルケ唯一の方法なのに。
- 運動公園へ。ソフトボールの催しの手伝いにかり出されている。他にも幼稚園の運動会、少年サッカーのリーグ戦、高校生の陸上競技会で駐車場がぎっしり。日本もまだまだ人が多いと驚く。さらにサッカースタジアムでj2の下?の試合まで始まる。知ってたらチケット買っておいたのに。
- 地縁血縁を誇示したり確認したりすることへのこの地の人たちのエネルギーは自分には一切ない。血と土ではなく心を共有することに賭けてきた。親も結局同じ価値観だから江戸川の西に逃げ帰ってきたのかと思う。仕事の予定がタイトでないとどうも親の様子が気になってくる。
- 血と土より心、という生き方は余裕のある人の上から目線の啓蒙、と言われる。心とか愛とかは世の中が上昇中と皆が信じていたインフレ期の時代精神だ。今でもこの語を使うのは都市部の中産階級以上。
- そう考えると「世界の終わり」の「心がない」のモチーフは改めて面白い。ある時代が終わる、という予感と、そもそもぼくは「心」を持つ余裕があった、と示すスノビズムを二つながらに表すから。
- 堂々巡りをしながら灼熱のベランダでin my Lifeを聴いたら胸に迫ってきた。こんな歌詞だったのか。いや、知っていたけれど全く別の意味で聞こえてくる。I Love you more、というわけで遠い世界に来たけれど、どうも愛というものはかなり心もとない弱いものだった。
- 早死にしたJohnが多分知らない、そのことを知ったあとでもこの詩が強く働くのは何故なのか。もう一度聴いて確かめてみよう。オリジナルではなくジャズの人がゆるいペースで歌うと全く違った言葉になって聴こえる。
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