- 何時間も絶え間なく激しい雨が降っている。朝、訃報の放送があった。やや近くに住んでいる90近いお婆さんが亡くなったと言っている。通勤途中その家の前を通りかかった。軽自動車が集まっていた。血のつながりのある人たちが、激しい雨の日だった、と話題にしているはずだ。
- 染み込んだ大量の雨は湧水になって飛び出してくる。温泉になって流れ出してくる。循環に身をゆだねて安らいだり諦めたりする、という古い意識を外して世界を見ることができない。プルトニウムを感じ取ることができない。客観性に対する信頼が、これからももっと激しく揺らぐ気がしてならない。
- そういうわけで、というか、にもかかわらず、というか、食堂や浴室のビデオを取って証拠資料を作りつつ、人の動きを解析する、という工程をお願いしてある。「俺たちを黙らそうとしているのか」と思われ、また嫌われるんだろうがどうでもいい。
- 丁寧に調べて間違いがないか確認する、という作業を「無駄」と嫌う人が「私は科学の側」と言うのを見るのがおかしい。「科学ってのは自動化のことだから楽ができるんだ」という内心の声も聞こえる。
- 自分は油にまみれた小さな現実こそ正しさの源だと思ってるので、もうじき町工場の消滅後の日本を見ることになるのが寂しい。それこそ「訃報のお知らせです」だ。工場跡地をのっぺりとした広い道路にして、そこを強張った顔の老人たちが小さな電気自動車で走り回る光景、というのもさまにならない。
- 昨日作ったゴーヤチャンプルがあまりに美味しかったので、今夜また作ろうとしている。新鮮で甘いセロリを昼に買い、夜はゴーヤと豚肉を買いに行く。
- 先程は瞬殺で濡れ鼠になる豪雨の中をスーパーに向かった。じっと部屋に隠れていたかった。タイミングが悪い。横須賀の子供時代にドブの中をのそのそと動いている濡れた獣をみた。大きなドブネズミで、焦げた色の毛の一本一本がはっきりと目に浮かんでくる。
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