- それなりに面白い曲を買ったが気分は安定せず、youtubeのいつもの番組に流れ込む。シューベルトを聴いて情けなくも希死願望の歌詞で心を慰めようとしたが効果はなく、結局いつもと全く同じ道を辿るというか、マタイ受難曲の29番のコラールを繰返し鳴らして勇気を鼓舞している。
- 問題は二つあって、一つは自分のこの2年間の仕事が全否定されるべき誤りだったのではないかという疑念がぬぐえないこと。これほど恐ろしいことはない。だがもし本当にそうであれば現実を見つめ直して舵を逆に切って見せる。自分はそれをやってのけるが、本当に間違っているのか。
- もう一つは灰にまみれて死ぬと決めたのだが、やっぱり鹿児島の人の閉鎖性に疑念を感じているところ。本当は、お前早くいなくなれ、と思われていると改めて思い知らされたこと。びっくりしたが、自分はこの程度のことで「これからは油断しない」と考えずこれからも油断するつもり。
- だが、とことん傷つくだろうか。いずれにせよ、自分は今勇気を失っているので、お前はもう死んでいる、お前はもう死んでいるからこれ以上死なない、と呪文をかけて気持ちを鼓舞しているわけ。たとえ間違えて死んだとしても自分の罪故だから裁かれても仕方がない。
- 今まで通り油断して、傷つけられないかと警戒する、ということをせずに生きてみせる。嵐の野にむき出しの頭で立ってみせる。だが自分を傷つける人からは逃げておこう。足を止めて打ち合うのは寂しい。バッハとヘルダリンのおかげでほぼ諦めがついた。
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