2012年7月6日金曜日

2012-07-05

  1. フランクフルトの中央駅の画像を見ていてふと思った。19世紀末から20世紀にかけての駅建物建築に限らず、都市のシンボルになる建築物の意匠に国家・社会の威信を懸けることは大切なのだろう。繁栄と安定の可能性をシンボルが放たなければお金が集まってきて経済が活発になる、ということはない。
  2. そういう意味で、政治は大切である。お金は信用のあるところに集まってくる。信用を落とすというのは恐ろしいことである。これはコツコツ汗を流す、という一人一人の日々の働きを否定するわけではない。大金持ちが資本を握って遊んでいる、というのではなくて、何か流れのようなものがあるのだと思う。
  3. 沢山の人たちがてんでばらばらに動き回っている都市の外側に立って、聴覚が猛烈に鋭い生き物が耳を澄ませるとワーンというような音が高まったり低くなったりする。それは人が動いたり呼吸をしたり肘を曲げたりする時の音が重なりあって鳴る波動のような音楽だが、観念ではなく実際の音なのだ。
  4. 一人の人間が何かを考えている、というようには見えない、いつも。波動のような音がちらちらと目に入ってくる、という状態のことを思考、と思い込んでいるような気がしてならない。だから思考らしい思考をせずに奈落の底に行進していても我々は別に怖くないんだ。
  5. 昨日から、見ると傷つく話はこれ。いじめた子供たちよりも社会全体が共謀してその子を死に追いやった気になるのだ。彼が命を絶った後も辱めている。倫理を欠いた人が長の名のつく仕事をしているのである。「中2自殺 被害届受理を3回拒否」 http://t.co/hNlCD7S4
  6. 入道雲が出ているし、梅雨が明けているような気がするのだが。気温は30℃を越えているはず。しかし車は窓全開にすれば冷房なしで走れる程度なので、本当の夏では確かにない。昼に買った味噌味の豚骨を食べきれなかったので、夜のあてにするつもり。
  7. ともかく命を絶たれた子供の無念を晴らすためにも、自分は主義主張を曲げずに行こうと思う。孤立しても気にしない。というか、何故か孤立しない。支えてくれる人が大抵いる、決して多数派にはならないが。死んだ遠い街の彼には直接係わりのない努力だが、人は比喩的に考え比喩的に行動するものだ。
  8. しかし、Radladerという単語を見て?と思うが辞書を調べるまでもなく、Googleの窓に入れて画像を検索すると、ああ、これのことか、となる。昔は独和辞典を調べて間接的に別の言葉を眺めたのだ。「これ」を日本語で何というのか知らないのだが、それが自然なのだろう。
  9. 昔、辞書を作っていた時代を思い出すと複雑な心境だが、辞書はもうすぐ不要になる。質が落ちないようにメンテナンスする仕事は残して欲しい、版権の権利を持つ人たちの義務として。何かが無くなった分、新しい何かに力を注げばいいのだ。

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