- 和食はだしと醤油と酒や味噌で適当にバランスをとる感覚があるのだが、オリーブオイルを使うというのには結局素養がなく、とてつもなくまずいものを作って諦めながら食べた。まだ口がまずい。今見るとワインだけが半分以上も減っている。
- 日本人大御所O氏のマーラーをワゴンセールで得て聞いたが生暖かい演奏だった。その人は尊敬に値する善き人であるだろうが、ディスク容量が足りなくなったらともかく削除しよう。
- 牛肉的な生暖かさ、というか…牛肉はどうも好きになれない。
- 何だかんだで既に2〜4ケ月、詩を作っているのだが先ほどやっと骨組みが見えてきたところ。あと半年くらいででき上がるだろうか。園子温を見てホラー映画風に書いてみようとしただけだが、気味の悪いものになるだろう。
- 新宿駅で女の子たちを沢山殺す話だったので、自分は登場人物男だけ、としてみている。読んだ人は自分を「狂人」か「変態」と思うだろうが、自分は多分ただの鬱陶しい仕事人に過ぎない。何でこんなものを書く必要があるのか。
- 書き留められた言葉は全て、全く不必要なガラクタだから、というのがその答えと思う。全ての作品は私や貴方のガラクタ的ありようを示す隠喩のようなものだ。ものを作るということは必要性ではなく不必要性を訴えるやけくその怒鳴り声のようなものだ。
- 渋谷から北に向かう黄緑の欅の道には見覚えがあった。小学生くらいの頃の、と思っていたが違っていて、学生時代に見た記憶だったようだ。友人たちのほとんどは消えてしまった。記憶の豊かさと味わいの濃さに驚くばかりだ。あの頃自分はとても努力していた。
- 努力は実を結ばないものだが、自分のためではなくきっと会うことのない誰かのところにその実は行っているのだろう。黒胡椒をまぶした薫製や焦がした小麦類。今この瞬間にそれを食べている人がどこかにいて、ほとんどの人はそれを食べてはいない。
- 明るい光でいっぱいの風景とは裏腹に、自己嫌悪的気分が続くのは変な残酷なお話を書いているからという気がしてきて、もうやめようと思いつつも怖いもの見たさの気分が残っている。どうしたものだろうか。
- goodbye Leninはもう古いと思いつつ、どうしても便利なので授業に入れてしまう。既に何十回見たか数えきれない。何度見ても森の別荘にトラバントで出かけていくシーンで涙が出てしまう。父親のホームビデオの場面に戻るシーン。
- 音楽がよくできているから涙が出るのかと思っていたが、子供がもう一人産まれてくる、というシーンの直後だからかもしれないと今日気づいた。上の子がキャッキャと喜ぶ声も音楽にかぶって聞こえている。無邪気で無垢なものに触れた時、自分の無力を呪う気持に捕われる。
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